山林竹田更良記

思いつきを。

 今まで一番なるまいと思っていた妙なこだわりを持つ人間と完璧主義者が、いつの間にか自分自身のこととなっていた。

 笑うしかない。

 くそが。

 草草草草草草

 大草原

 モンゴル行きたい。

 僕はクズなのか?自分ではそう思う。他人にそう言われたことはない。どうして僕はクズとなるのだろうか?他者評価?相対的に決まるのか絶対的なのか。クズと決まって何がどうなるのか。

 知らね。

 自分の殻を破れ、壁をぶちこわせ、ハードルを越えろ。なんで?ハードルにつまずき壁を前に心折れ己の殻に籠る。

 それでいいじゃないか。

 適当に生きて、さっさと死んじまおうぜ。

 国の存亡とか、ヒト科の堕落、神への冒涜とか、死んだら関係ないね。

 死後は誕生する前の状態になる。わたしという記憶と生命の繋がりが断たれた状態、わたしという存在が物理的にも失われた状態になる。それだけ、と言ってしまえば、それだけのこと。

 僕はそれだけの存在。たった、これだけ。七十億分の一、四六億年分の二十、百三十億年分の二〇。

 先祖が努力して、苦労して築き上げたこの文明、コンクリートジャングル、首のへし折れた我々、僕のようなニート予備軍。

 英傑達は何を思い思い死んだか?

 未来への期待、希望、そして悔い。

 存在の失せることのなんと有情なことか。

 期待したほどでもなく、悔いるまでもない恐ろしく変化しない世界の、変わりゆく社会の中に、僕はいる。

消えてしまうもののために

 美しいものを見ると心が洗われる。ただただ美しいものを眺め、情動を楽しむ。強く求めてはいけない。注目は全体を遠ざけ、美しさへの執着は空の心を生む。見てはいけない。

 ちっぽけな自分は存在し、美しく思え、目が離せないでいる。未開な何か、透き通るものが体を満たす。何も、はっきりしたもの、大きな転換などない。だが、それでよいのだ。このひとときの感傷のために、生きる。やがて失せる自分という存在、そのために。

 

そんなわけがあるか。腹は満たされない…

気のせいだろうか?

 こんなにも僕は情緒不安定であったろうか?

 週の初めには可能性に満ちた顔を世界に見せ陽気に自発的な会話をしていたはずだが、今や地の底で這いつくばる気持ちだ。誰とも接したくなくなる。

異世界系脳みそ

 VRゲームをやると、翌日必ず夢に見る。遺跡となった大学で、何かにおびえながら何かやっていたような、なかったような…。いや、夢は記憶に残りにくいもので。明確に思い出せないけれど、その幻想的な感じだけが残って、それが逆にタチが悪い。脳みそが異世界召還されがちな僕は、どうしても逃れられないこの現実というものに耐えきれずに、どうすればとは考えずどうしようもないものと死に方を考え出す。日本、地球、宇宙、物質と現象、神は死に科学と事実が支配するこの世界ではない世界に憧れ、叶わない妄想に悶えるうちは苦しみしかなく。生まれたくなかったとさえ思う。せめて、肉体ごと妄想できればいいのに。もっと感触や匂い、風を感じられるVRがあれば?現実との落差でさらに苦しくなる。マイルドに非現実を楽しめるように、生まれたかったな・・・。

ちっぽけだ。

 ほんと、生物ってなんなんだろうな。ゴキブリは僕と同様に生物で、飯食ってうんこして生きてる。ヒトはそれに加えて石を削って木を切って、土を掘り返し鉄を溶かして。なんだこれ。猿の次がヒトって。冗談だろう?じゃあ、猿の前はフンコロガシだ。たまに二足歩行をする。

 「言葉によって考えさせられている」と言う人がいた。思考は、脳内で仮想現実を構築して、それを、こう、押したり、引いたり、ラジバンダリ。そしてこの仮想現実の視覚以外を作り上げるのが、言葉だ。現実を抽象化し、簡単に、わかりやすくし、より複雑な思考を可能にし、見えないものに関しても考えられるようになる。言葉は思考に先立ち、初めに言葉があってから神というぼんやりしたものに考えが至るようになった、という意味だと思うが、それにしてもこのビル群はわからない。電気なんて言うものが通っているし、一瞬で火がつくガスもある。制御された爆発で前後に動く車、空を飛び三次元的に動く飛行機。そして、これらがでっかい地球の表面にいるちっぽけな一生命に作られたものということ。けれど未だヒトが持つ地球すら小さく見えるほどの巨大な探索網をもってしても、他の生物という存在/現象は他の星において見つからないままに受験勉強に精をだし、宝くじに一喜一憂する僕がいる。ええーっ。なあにこのスケールの違い。言葉で考えても、理解できない。そうあるがゆえにそうである。理解するものではない。