山林竹田更良記

思いつきを。

扉の向こうには、小人の国が広がっている。

小さな扉は、小人の国へつながっている。

「この扉は何なんだい?」僕は聞いた。

「小人の国につながっています。鍵穴から見えますよ」とジャン・ピエールは答えた。

どら。僕は屈んで覗き込もうとした。すると

「マッテ!メガネを外しなさい」とジャンピエがShoutしたのだが、悲しいかな私の視力は0.012、何も見えないのだ。

「そうしたら何も見えないよ」というと、ジャンピエは両手でThumbs upして

「安心して!その穴は直径1.2mm、ピンホール効果が期待できる!」といったので覗き込んだ。すると向こうに何か有機的な物体が見える。目だった。あっちからも見ていた。びっくりしたもんで瞬時に筋肉が緊張し、後ろにいたジョンピエに頭突きをかましてしまった。ジョンピエは後ろに倒れ込み、ズズドンと周りの配管に雷鳴のような音が反響した。「イッテー。もうコリゴリだ」とジャンピエは言った。それに構わず僕はもう一度覗いた。すると小人がいた。お、いるじゃん!ノブを回して奥へ行こうとすると、ジャンピエが

「メガネを外しなさい」と言った。メガネをかけるな、ということだろう。あまり気にせず、ノブを回した。すると急にほっぺを手のひらでサンドイッチされ、顔面をジョンピエに向けさせられた。

「その偏見を無くしなさい」

ジャンピエが真面目な顔で言った。

「私は確かに西洋人の顔、西洋的な名前だ。しかし、だからといって日本語が話せないわけじゃあない。アイ、キャントスピークイングリッシュ!」でもそれは無理な話だ。

「悲しいかな、もう刷り込まれてしまっているのだよ、ジャンピエよ。常に理性で刷り込みを上回らなければならない。ただ純白は美しい、夕日は美しい、これらにおいてはきっと脳の奥底からきているのだよ」

「じゃあ差別はなくならないの?」と涙とともにジャンピエは言った。知らないね。自分で考えろい。

「アァでもconscienceはconscious、良心は意識的に行なわれるのですよね!」

「ヘヘッ、こいつ、適当言いやがる、ヒッ!」ドアの向こうの小人が言った。

「そんじゃVirtueはVirtualだな!」僕は言った。

「中身が同じとは限らないぞい、ヒーッ!」

一理ある。

寿命と命

 樹木希林さんは「明日死ぬなら何を食べたい」という質問に対し、「何も食べない。食べることは他の命をもらうことであり、明日死ぬなら何者も殺さず死ぬ」というようなことを言っていたそうな。

 なるほどそうだ。確かに。ところであさって死ぬなら、どうする?一週間後なら?三ヶ月で死ぬとなったら?つまり、われわれはいつか死ぬわけで。急に死んだりゆっくり死んだり差はあるけれど。いつもは食事の時死を、寿命を意識しない。もし寿命がわかって「何ヶ月後に死にます。何日前から断食すれば寿命と同時に栄養失調で死ねます」とわかればそれはすばらしい。寿命を最小の殺生で全うできるのだから。樹木希林さんの答えは問題提起だ。

「私はこの牛を殺した命で明日どう生きるのか」

よくわからんパン食べてゲームしてボーッとして初音ミクの声は可愛いなと思いながらこんな文章を書くんだ。僕は、死ぬのが怖いから生きてる。きっと苦しいんだろうって思うから。ごめんね。この気持も朝には忘れるけど。

焦り

先が見えなくて焦っている。
あなたはこれをやっていれば生きていけるし、幸せです。
誰と一緒にいれば、孤独が紛れます。
ところで、この夢はなんですか。
忘れないで。
これは何。叶いますか。この世界すこレベル?ドバイにありますか。
現実はどこに行っても統一感のない
均一にメチャクチャ似通って。
叶う夢は夢
叶わない夢は妄想
僕に夢をください。早く。

着物

 あえて洋服にこだわる必要もないじゃない。一年間週五日ほどの頻度で着物を着ていて思った。機能性で言えば、もちろん和服は洋服に劣る。着物が身体の動きを決める。着る人はそれに従うのみだからだ。抗えば着物は己を破壊して抵抗する。特に古いものであるほどその傾向は顕著になる。裂け、ほつれ、破れ、袂を裂き中身を落としてきたり、太ももにセクシーなスリットを入れてくる。それらを僕は謝りながら繕う。
 着物は急ぐこと、速く動くことを嫌う。すぐに駄々をこね身をよじって僕から逃げてゆく。あっという間に。こちらはもちろん急いでいるのでイライラする。もう脱ぎ捨てて全裸で走り去りたくなる。しかしそれでは手元に残るのは復讐の快感と手錠だけである。だからグッと歯を食いしばり腹に力込めて堪える。大きく息を吸い、心の中で「気楽に生きていこうぜ」と言いながら息を吐く。そして服の乱れを正し、そろーりそろーりと後ろから授業中の教室に入るのである。このようにゆっくりすることを強制されるのだ。
 動きの形も指示される。姿勢を良くしなければならない。でなければすぐに胸板が公のもとにさらされる。足も小股で動かし、しゃがむときは正しいフォームのスクワットのようにしなければならない。これらを意識すると急におしとやかになる、なってる気がする。
 袴は着物を活動的にしてくれる。だが場所をとる。「そこのけ俺が通る」でいなければ引っかかって裂けて終わりである。小さく一人分で座ればしわくちゃになり、急で階段ではきれいにホコリを集めて持っていってしまう。服に合わせて動きを変えて気持ちも変えていかなければいけない。
 こんな服をよく着ているからなのだろうが、急に洋服を着るとまるで何も着ないで全裸でいるような気持ちになる。そして逆に自分の行動が気になってそわそわして気が休まらない。結局、体の動きが見えにくかったり奇抜で服にばかり目が行くような格好でしか落ち着かない。普通を着るセンスも感覚も着物に破壊されてしまった。コンサバ極か非洋服極でしか平安が生まれない。自由がなくなった。
 歩き方も、大きく着物に影響を受けた。着物には下駄か雪駄を履くのだが、これらは自由に歩き回れるようなものではない。履くのに慣れが必要であり、それは歩くという行為を根本から考え直すことなしにはなされないのだ。雪駄はサンダルと別物。カカトの休まらない、緊張感を必要とする履物である。下駄は「最低片足一点、二点あれば安定」とトンデモ理論を展開し、こちらの意見を顧みない硬さを持っている。だからま右足の出し方から考えた。軸足は曲げるのか?右足はどこから接地すればいいのか?接地した後は?歩き方が常に不安定になり、持病のヒザ痛が解消し、靴の素晴らしさがわかった。
 何を着るかは確かに人を変える。最も人の外側にあり、本質的なものから一番遠いように思えるが、実はここの選択が一番手軽に自分を変え、世界観を変えるんじゃあないかと思う。金を積むだけでよいのだから。変わらない日常にうんざりしたら、洋服と設計思想から全く違うような服を着てみてはいかがだろうか。

ぼくをきいて

眠れない夜は誰かにいてほしいと思うよ。
自殺をしたいとき、悲しみやつらさを誰かに話したくなるよ。
悲劇のヒロインになりたくなる。苦しむ顔を見せたい。でも見られたくない。死んだら何もないという確証をください。がんばりが全て∅になるようにして。でも今は信じられないから。20年しか生きていない。どうして何に怒るの。死ぬ死ねなんて言わないでよどうして?うまくいかないの
だから?怒るの?怒ってるの?
あああ
ぼくをひとりにしないで
すべてが空であると確信すれば何も苦しまないのに
ぼくをきいて
クソ

等々力渓谷

『「ベーグルをひとくち、ネズミくんはちゅうと鳴く。すぐさま上からナイフが降って、ヘビになった」そんな夢を見たウミイグアナくんは、あのヘビくんも元はネズミくんだったかもしれないと思い思い岩礁に隠れるヘビくん達を見た。そんなことを考えているうちに体が十分な熱をもったので、ウミイグアナくんは海に飛び込んだ。しかし波に流され帰れずに体が冷え溺死してあなたです』

 銀座の高架下の占い師はそういって私を指さした。後半が完全に先週TVでやっていたNHKプラネットアースIIの内容である。それを指摘すると、占い師はこう言った。

「占い師も人間なんです。周りに影響されるんです。でもあなたの運勢は変わらないです。次は宇宙です」

 よくわからん。



あとがき

 

 先日の等々力渓谷への出遊では雲海を下から眺めることとなってしまったが、弘法大師綜芸種智院設立までの道のりと彼の思想を書いた看板を見つけた。そこにはこうあった。

『手芸というのは学際的学びであるリベラルアーツを示す。種智というのは智恵や決定力とも言う本来の教養である「智」、それを「種」のように植え付ける、つまり生徒に与えるというものである。受け取り育てるかは生徒次第で、生と死によって生徒自身は聖人君主となるか確かめらる。生者は聖者への英才教育を受ける。聖人君主への道は既得権益の所為ではなくあくまで実力才能努力によって審査されるものであるべきであるという弘法大師の思想が学費食費免除という綜芸種智院の資金面からも見て取れる』

 シルクロードの影響力と共に新自由主義の影響が見て取れる。タイムマシンはまもなく完成されるのだろう。そして、弘法もやはり筆を誤るが、このおやじギャグ的連鎖は特筆に値する。筆だけに。 ちなみにこれは9「せい」文、つまり急性文であり、思い付きによるものであることがわかる。

 そのまま多摩川と交じり上流を目指すと多摩川台公園があり、亀甲山古墳がそこにあった。キッコーマンじみた名である。途中七つの小古墳を見たがそれらは小山にしか見えぬ。『多摩川台公園からのながめ』という名の看板のそばからは、まあるく雲海を除けて悠然とそびえたつオリュンポス山が遠くに見えた。しかしそれは犬団子のようでもあった。日光はエンジェルハイロゥとして彼岸に注ぎ、消えた。彼岸にちょっとしたビル街が見えるのもそのせいだろう。変電所へつながる電線が彼岸から此岸へ伸びているのも納得である。その掲示の先に行くとキッコーマン古墳がある。しかしこれも小山にしか見えない。

 

『亀甲山(かめのこやまこ)古墳

 

 この古墳は、大田区から世田谷区に及ぶ荏原(台)古墳群中最大の前方後円墳である。発掘調査は行われておらず詳細は不明であるが、埴輪、葺石等がないことや、その古墳の形により、五世紀前半ごろの卑弥呼の弟の娘婿である蘇我亀子山多麻呂の古墳と推定する。

 この前方後円墳は、公園部南端を浄水堀建設と公園建設、近代化により二度三度削られているものの、比較的よく原型を保っている。港区芝公園内にある丸山古墳と並んで、都内の代表的古墳である。

 平成二十九年、国の軌跡となっている。

  大田区

 

と、古墳の傍の看板は述べている。発掘調査もなく埴輪もなく葺石もなく果たしてそれは古墳なのだろうか。真相は闇の中、いいや土の中。火の中水の中には存在しないため、真相究明への熱意は他の言葉によって伝えられるべきである。ちなみにこの掲示板の「かめのこやまこ」という唐突な擬人化には笑みを隠さなかった。隠れ弘法である。

 唯一この散歩で残念であったのは亀甲山がキッコーマンではなくカメノコヤマであったことだ。亀の小山であるとすればこの古墳はカメの墓であったのではないのだろうか。あるいはこの名は蘇我亀子山多麻呂の「かめこやま」からきているのか?真相は土の中である。よって、たとえ地の中石の中であっても、真相解明のために私は努力を惜しまない。

 

平沢風)

消えたしりとり

 図書館で勉強しようと思ったが、なんだか集中出来ずにキョロキョロ蔵書を見ていたら、二十冊以上ある大きな世界百科事典を見つけた。
 もちろん冊数もだが、何よりも面白いと思ったのが背表紙に書いてある見出しだ。普通の辞書なら「ア〜ウ」とか「コ〜サ」なのに、なんと「ア〜イム」「タイ〜ツリ」のように、二文字までのものがあり、なんと「コメソ〜サヌミ」と三文字のものまである。恐らくページ数で分けているのだろう、本の厚みが全冊同じだ。
 この時、あることに気がついた。「サ〜シ」のように続くものもあれば、「ヤ〜リ」のようにかなり離れるものもあるのだ。つまり、単語に偏りがある。世界大百科の単語に。ということは、世界の単語が全体として偏っている。お気づきだろうか?そう、しりとりには、日本語という言語であることにより生まれる、絶対的に難しい’’しり’’があるのだ。見たところ、「ら、り、る」が狙い目だ。すべてが1冊に入っている。今のうちに辞書を読み込み、語彙を増やして、次回しりとりをやった時には相手をらりるで攻めるんだ。相手はうろたえ、そしていつか言うだろう。
「ライオン!」
そうしたら満面のしたり顔でこう言ってやるのだ。
ンジャメナ」(チャドの首都)
...えっ?おかしい。しりとりが...終わらない!?いや、日本語には「ん」で始まる言葉なんてない。気のせいだろう。
 だがしかし、残念なことにこれは気のせいではない。江戸末期より続く西欧化、近代化、国際化、グローバル化の流れの中で、日本には「ン」から始まる言葉が伝わった。つまり、日本にはない文化が入ってきたのだ。それによって他の「ン」から始まる言葉がある国と同じになってしまった。これこそグローバル化、つまり世界の均一化によって消えた文化の独自性である。世界の均一化というのは、大体アメリ化と形容される。だがこれはアメリ化ではなく、アフリカの文化による日本の言語の変化、アフリ化である。
 変わりゆく時代の中で、もはや純粋なしりとりはできなくなり、我々はしりとりを新たなルールで縛ることを余儀なくされるようになってしまった。このように世界がひとつにまとまる、それによる弊害も見逃せない。自国の文化、優れたところ、さらに欠点なども他国と比較・理解し、丁寧に世界との均一化を図っていくこともまた、大切である。もちろん、一方的に西欧が良いなどとと思うのは危険である。スパイス料理大好き。
 (辞書自体の掲載内容に偏りがあるかもしれないです。)