山林竹田更良記

思いつきを。

僕はジャコウビト

 一人暮らしを始めて、毎日同じものを食べている。鶏肉、卵にオクラとお米、たまにほうれん草。少しずつ僕の細胞は入れ替わり、僕だった物質は鶏肉に入れ替わっていく。ほうれん草が頭から生えてきて、卵の涙が流れてる。体臭もきっと変わってきたはず。今までは味噌と醤油に魚が少しだったけれど、今は鶏ガラの匂いかな。僕の香水はピンクペッパーの香りだから、鶏ガラの体臭にピンクペッパーの香水でおいしい匂いがするだろう。

 そしてもちろん食べるものが同じだから、毎日毎回同じ匂いのおしっこが出てくる。鳥のツンとするような匂いと、お米の粉っぽい香り。でも今日は少しいい匂いだった。臭みが抜けて、ムスクの香りみたいだった。昨日は鶏ガラダシを多めに入れたからかな。今日はオクラが少なめで、味付けは無し。明日はどんな匂いになるだろうか。

おくるみハンモックで起ギャろう。

 ハンモックで寝るようにしてから、本当に朝が早くなった。12時ごろに寝て5時半ごろには目覚める。それも、中途半端に早く起きるのではなく、シャキッと起きる。本当に今までのベッドでの泥濘の眠りはなんだったんだろうレベルで起きる。12時に寝て11時に起きて、ダラダラしてからじゃないと目覚めなかった。今も5時半に起きてこの文章を書いている。

 僕はまだハンモック歴は2ヵ月くらいだけれど、実はハンモックの寝心地には覚えがあった。それは、フローティングタンクの感覚だ。フローティングタンク内では死海に人が浮くみたいに液体の中で浮遊しつつ眠りにつくが、ハンモックのゆらゆら浮遊する感じがタンクに浮かんだ時と似ている。ただ、重力含め五感全ての縛りから解放されるタンクとは対照的に、ハンモックは重力を無くしつつも心地よい布の締め付けがある。そしてゆらゆら浮遊する感じとこの締め付けが、さながら母胎帰りしたかのような安心感を産む。体は寝た時の形のまま、新しい日に新しい僕がオギャッ!と起きる。起ギャれる。

 もしかしたら枕がないと首のすわりが悪いのではないかと思われる方がいるかもしれないが、頭は布の中にすっぽりだ。さすがに首のすわりまで赤ちゃん返りすることはない。つまりハンモックは首はそのままに寝心地だけ赤ちゃん返りできて毎日起ギャれる、そんな都合の良い寝具なのである。

MACHO WARS ~筋肉の裏切り~

第1章 筋肉の裏切り

 

「ふふ、豆太さんったらほんとうに真面目なんだからぁ」

「あ、ああ。ありがとう…」

「…?どうかしたの?」

「実は…言っておくことがあって。…今まで隠していたんだけど」

「えっ、何!?怖いわ…!」

「い、いや!怖いことじゃない。僕の、個人的な話だ」

「…?」

「僕は、遺伝子組み換えなんだ」

「(絶句)」

「筋肉が、人よりよく付くんだ」

「そん…な…。じゃあ、その筋肉は…努力の賜物じゃないの…?」

「う、うん…そう…だね」

「最ッ低!何なの!?筋肉好きをバカにしてるの!?でかけりゃ良いってんじゃないわよ!努力ッ!その賜物が欲しいの!とんだ傷物よあなたは!二度と!私の前に!顔を!みせないで!」

「まっ、待ってくれ!確かに筋肉はすぐつく。でも、それだけじゃだめだろ!?このキレはッ、この6パックは!努力の賜物だよ!ぼく脂肪は人より付きやすいんだよ!?僕は君を、筋肉は君を!」

「「裏切らない!」」

「…いいえ。あなたは最早、量産型。私にとっては組み換え可能な存在よ。そう、遺伝子のように、ね…」

「ちょっ、待ってくれ!僕には君しかいないんだ!ミォちゃぁあああぁぁぁぁあぁん!………くそぅ、俺の筋肉…お前…お前…!裏切りおったなああああああぁぁぁぁあぁぁあぁあぁあぁ!」


      

To be continued(続きません)

生きる意味は無い。

生きる意味は無い。なぜなら、生きるのは自然現象だからだ。ただ、意味を与えることはできる。

まず、生きることは自然現象である。呼吸を意識して行う人はいないし、渇きや空腹は苦痛を伴い、何かを口にせずにはいられない。生きようと思って生きていない。勝手に、なんとなく生きている。気がつけば生きているものなのだ。

次に、自然現象に意味を問うことはできない。例えば人間の行動、走っている意味は何かと問われれば、雨に濡れないため、あるいは記録を出すためなど意味を見い出せるだろう。しかし雨が降る意味は何かと問われても、そこに意味は見いだせない。太陽が光り輝いている意味は?科学のやり方で原因を問い、仕組みを明らかにすることはできても、自然現象にその起こる意味を問うことはできない。

だから、生きる意味はない。ただ、自然現象にも意味を与えることはできる。天が悲しんでいるから雨が降り、太陽はあなたのために輝いていてもいい。同様に生きていることに意味を与えることはできる。だからそう、生きる意味なんてもともとないんだから、生きる意味を見つけにいこう。それ自体が生きる意味でもいいし。

究極にネガティブな人間というのは、究極に傲慢な人間である。

 行動の一つ一つにおいて、あるいは出来事において自分の非を発見し、自らの無能さをかみしめる。

「あの時ああ言っておけばよかった。自分はなんて気がきかないんだろう。」

「先に私がDさんにあれを渡しておけば、二度手間にならなかったのに。」

一見これは謙虚さに思えるが、実は全く以て傲慢である。自分の非があるという事はそこに自分が関与する余地があったという事、自分が関与することでより良い状況が生まれる可能性があり、それだけの力が自分にはあったということになるので、自分の能力を過信している点で傲慢である。

 つまり何かにつけて自分の非を発見して悔い入る時、自分には全ての出来事に関知し、それらをよりよく進行させられると全知全能の神か何かと勘違いしていることになってしまう。しかし、あなたは神ではない。違ったらすまん。まあ周囲の人間全てに対して気が利いて、かつ常に最適な言葉をかけられる存在だったり、この後起こる事象全てを見通し、うまくいく可能性があれば全て実現させられるほどの能力はないでしょ?

 謙虚であれ、ネガティブであれと心がけるうちに、いつの間にやら傲慢で全知全能な神になってしまっていないだろうか。いや、これは何も後悔をするなと言っているわけではない。その後悔をしすぎて全知全能の神にしかできないような後悔までしてしまっていないか、という話だ。

 もしほんとうに謙虚でネガティブになろうとするなら、こう言わなければならない。

「すみません、そこまで無能にはなれないんです」

一器多用

 中国には一器多用という言葉がある。一つの器が、何にでも使える。そういう道具のことを指す。例えば中華包丁。切るのはもちろん、重さで骨を断つことや、幅広の刃で潰すこともできる。他にも、切った具材を一気に上に乗せて運ぶことができるし、四角い先端でまな板の汚れを削ったり、ついでに刃が広くて猫の手をした時に手から包丁が離れないから手を切りにくい。

 中華鍋もそう。フライパンと鍋と、両方の機能を果たせる。炒める、揚げる、煮る、蒸す、茹でる、ついでに盾やヘルメットにもなって、携帯の電波が悪い時は中に携帯を入れれば電波が良くなる、かも。唯一の弱点は、右で卵、左でソーセージを別々で焼く、みたいなことが難しいこと。全部転がって真ん中に集まって、一つになってしまう。だからいっそソーセージは刻んでしまって、卵も混ぜてしまおう。そこにもうお米も一緒に入れてしまって、味付けは塩コショウで。彩りのためにレタスを少し。ほい、チャーハン一丁!!!!

 

真実

真実とは絶対的なものではない。

真実は1つではない。事実も真実も無数に存在する。無数の事実を1つの文脈という串で貫く時、真実は一本の串だんごとして現れる。これは性質と本質との関係性においても同様である。無数の性質を1つの串で貫くと本質が現れる。あるいは、串のことを理論と言い、性質の刺さった串だんごを本質と言うこともできよう。そして、私はお腹が空いている。