山林竹田更良記

思いつきを。

究極にネガティブな人間というのは、究極に傲慢な人間である。

 行動の一つ一つにおいて、あるいは出来事において自分の非を発見し、自らの無能さをかみしめる。

「あの時ああ言っておけばよかった。自分はなんて気がきかないんだろう。」

「先に私がDさんにあれを渡しておけば、二度手間にならなかったのに。」

一見これは謙虚さに思えるが、実は全く以て傲慢である。自分の非があるという事はそこに自分が関与する余地があったという事、自分が関与することでより良い状況が生まれる可能性があり、それだけの力が自分にはあったということになるので、自分の能力を過信している点で傲慢である。

 つまり何かにつけて自分の非を発見して悔い入る時、自分には全ての出来事に関知し、それらをよりよく進行させられると全知全能の神か何かと勘違いしていることになってしまう。しかし、あなたは神ではない。違ったらすまん。まあ周囲の人間全てに対して気が利いて、かつ常に最適な言葉をかけられる存在だったり、この後起こる事象全てを見通し、うまくいく可能性があれば全て実現させられるほどの能力はないでしょ?

 謙虚であれ、ネガティブであれと心がけるうちに、いつの間にやら傲慢で全知全能な神になってしまっていないだろうか。いや、これは何も後悔をするなと言っているわけではない。その後悔をしすぎて全知全能の神にしかできないような後悔までしてしまっていないか、という話だ。

 もしほんとうに謙虚でネガティブになろうとするなら、こう言わなければならない。

「すみません、そこまで無能にはなれないんです」