山林竹田更良記

思いつきを。

勉強しているのか!?

 勉強して他人に感謝されたり、勉強してよかったと思ったことなどない。とても独りよがりなものだと思っている。勉強は手段、と言えばそれもおかしくはないだろうが、はてさて私は何のために勉強しているのか?

 後悔しないためだ。勉強しておけばよかったと言う大人と、遊んでおけばよかった、と言う大人が身の回りにいて、前者のほうが多い。両親もそうだ。だが二人には違いがあって、母は思想として、父は経験として、そう語る。運動したほうがよい、清潔な方がよい、健康な方がよい、この流れで母は言ってくる。非常に辛い気持ちになる。この「〜したほうがよい」という、名前をつけるならば「普遍的よりよさ」をそのまま伝えてくる。そしてこの「普遍的よりよさ」に対して、常に完璧であることを求めてくる。

 わかる。僕も「普遍的よりよさ」が欲しいよ。でも、できないんだヨォ…。なんだか、どうにもこうにも、つかもう、つかもうとしても、手から落ちる砂のようにぼろぼろと。挑んでは失敗し、またできず、できずにもう、つらいよ。むりだよ…。

 「何スマホいじってるの?勉強しなさい。しないならもう風呂入って寝なさい。もう十時なんだから」

 「っるせぇ!クソが!クソがァッ!ぉぁあもうどいつもこいつも!」

 と、唐突にキレる息子は生まれる。知っているし忘れてなどいない。ずっと頭にある。だがやり方を知らない、やる気が出ない。なのにやれとだけ言われる。やっていないと、さらにやれやれできていないとたたみかけてくる。やる気の出し方を、教えてください。情熱をください。途方に暮れてしまった。

 そして父よ、経験を情報でなく感情でください。学のないことが、どれだけ苦しみの元となり、損をして後悔しているのか。と、正直なところ私は思う。素直であれば情報に期待通りの反応を示し机に向かうだろうが、私はひねくれています。

 いや、めんどくさい子供だ。子供はめんどくさい。いらないや。いや、当然の流れとして一生独身か。さみしいね。