山林竹田更良記

思いつきを。

消えてしまうもののために

 美しいものを見ると心が洗われる。ただただ美しいものを眺め、情動を楽しむ。強く求めてはいけない。注目は全体を遠ざけ、美しさへの執着は空の心を生む。見てはいけない。

 ちっぽけな自分は存在し、美しく思え、目が離せないでいる。未開な何か、透き通るものが体を満たす。何も、はっきりしたもの、大きな転換などない。だが、それでよいのだ。このひとときの感傷のために、生きる。やがて失せる自分という存在、そのために。

 

そんなわけがあるか。腹は満たされない…

ちっぽけだ。

 ほんと、生物ってなんなんだろうな。ゴキブリは僕と同様に生物で、飯食ってうんこして生きてる。ヒトはそれに加えて石を削って木を切って、土を掘り返し鉄を溶かして。なんだこれ。猿の次がヒトって。冗談だろう?じゃあ、猿の前はフンコロガシだ。たまに二足歩行するし。

 「言葉によって考えさせられている」と言う人がいた。思考は、脳内で仮想現実を構築して、それを、こう、押したり、引いたり、ラジバンダリ。そしてこの仮想現実の視覚以外を作り上げるのが、言葉だ。現実を抽象化し、簡単に、わかりやすくし、より複雑な思考を可能にし、見えないものに関しても考えられるようになる。言葉は思考に先立ち、初めに言葉があってから神というぼんやりしたものに考えが至るようになった、という意味だと思うが、それにしてもこのビル群はわからない。電気なんていうものが通っているし、一瞬で火がつくガスもある。制御された爆発で前後に動く車、空を飛び三次元的に動く飛行機。そして、これらがでっかい地球の表面にいるちっぽけな一生命に作られたものということ。けれど未だヒトが持つ地球すら小さく見えるほどの巨大な探索網をもってしても、他の生物という存在/現象は他の星において見つからないままに受験勉強に精をだし、宝くじに一喜一憂する僕がいる。ええーっ。なあにこのスケールの違い。言葉で考えても、理解できない。そうあるがゆえにそうである。理解するものではない。

 

題名は、覚えてないっていう(笑)

 安くてよい服は中古と決まっている。どうしたって少し古い物が好きですし。古い物で懐古する、昔信者の相はあるとは思う。誰かが言っていたけれど、古い感じにするとちょっとした滑稽さのような、時代的なもの、現代に対して不真面目な感が現れているような、そんな感じが宿る。ファッションの話だったはず。僕は確かにそんな感じがして、そんな感じ好きだなあぁ。そんなところ、いいと思うんです。あえて流行から逆を行く。天邪鬼ですから(笑)

私:なるほど、どなたから出た言葉かは覚えていないけれど、その言葉に刺激を受けたと。

己:そうですね。

私:でも、名前は覚えていない?

己:でも、名前は覚えていないっていうね(笑)。こんなのばかりですよ。内容を重んじすぎる節がある。父親のせいでしょうね。

私:お父さんが、そういった方でしたか。古風な”漢”って感じがしますね。

己:そうですね。でも、名前は覚えてないっていう(笑)。

私:名前を覚えるのは苦手でいらっしゃるんですねぇ。名刺、忘れずに渡さないと(笑)。ちなみに、私の名前、覚えていらっしゃいますか?

己:私の名前ですか?そうですね、確か筆者と同じで、野生で暮らしていそうな名字と、走りが速そうな姓ですよね。でも、名前は覚えてないっていう(笑)。

私:そうですか。名より実を取る猟山駆さんに、本日はお話を伺いました。ありがとうございました!

己:はい、こちらこそありがとうございました。・・・あ、あー、あ?

私:同じ猟山です。

己:ぉあ、あぁ。うん、あーね。ありがとうございました。

物質で、非生物のもの。

 真鍮はくすみ、石は冷たく。

 ただその深みに時を忘れ、冷たさに己の熱を知る。

 冷たく、冷たくも変わり、層はどこまでもつづく。

 継がれ消えるとも生まれず、生まれずに消えず。

 あるままでどこか、遥か彼方で、変わる。

 知られずに。

 知らぬ間に何かへと、何かへと知れぬままに。

啓蒙

 ただひたすらに、文字を書いて書いて書き続けて。何も見えなくなるまで、内へ内へと。八つの鞘をひとつひとつと乗り越えて。そうしたら、何か、気づきを得るだろうか。書くか死ぬか、それだけでいいのに。余計なものを、持ちすぎたのかもしれない。