山林竹田更良記

思いつきを。

消えたしりとり

 図書館で勉強しようと思ったが、なんだか集中出来ずにキョロキョロ蔵書を見ていたら、二十冊以上ある大きな世界百科事典を見つけた。
 もちろん冊数もだが、何よりも面白いと思ったのが背表紙に書いてある見出しだ。普通の辞書なら「ア〜ウ」とか「コ〜サ」なのに、なんと「ア〜イム」「タイ〜ツリ」のように、二文字までのものがあり、なんと「コメソ〜サヌミ」と三文字のものまである。恐らくページ数で分けているのだろう、本の厚みが全冊同じだ。
 この時、あることに気がついた。「サ〜シ」のように続くものもあれば、「ヤ〜リ」のようにかなり離れるものもあるのだ。つまり、単語に偏りがある。世界大百科の単語に。ということは、世界の単語が全体として偏っている。お気づきだろうか?そう、しりとりには、日本語という言語であることにより生まれる、絶対的に難しい’’しり’’があるのだ。見たところ、「ら、り、る」が狙い目だ。すべてが1冊に入っている。今のうちに辞書を読み込み、語彙を増やして、次回しりとりをやった時には相手をらりるで攻めるんだ。相手はうろたえ、そしていつか言うだろう。
「ライオン!」
そうしたら満面のしたり顔でこう言ってやるのだ。
ンジャメナ」(チャドの首都)
...えっ?おかしい。しりとりが...終わらない!?いや、日本語には「ん」で始まる言葉なんてない。気のせいだろう。
 だがしかし、残念なことにこれは気のせいではない。江戸末期より続く西欧化、近代化、国際化、グローバル化の流れの中で、日本には「ン」から始まる言葉が伝わった。つまり、日本にはない文化が入ってきたのだ。それによって他の「ン」から始まる言葉がある国と同じになってしまった。これこそグローバル化、つまり世界の均一化によって消えた文化の独自性である。世界の均一化というのは、大体アメリ化と形容される。だがこれはアメリ化ではなく、アフリカの文化による日本の言語の変化、アフリ化である。
 変わりゆく時代の中で、もはや純粋なしりとりはできなくなり、我々はしりとりを新たなルールで縛ることを余儀なくされるようになってしまった。このように世界がひとつにまとまる、それによる弊害も見逃せない。自国の文化、優れたところ、さらに欠点なども他国と比較・理解し、丁寧に世界との均一化を図っていくこともまた、大切である。もちろん、一方的に西欧が良いなどとと思うのは危険である。スパイス料理大好き。
 (辞書自体の掲載内容に偏りがあるかもしれないです。)