無題
さて、モチベーション、つまり動機づけというものはいったいどこから出てくるものなのでしょうか?
それはずばり、欲望でございましょう。
あれがほしい、こうしたい、そうなりたい。ありとあらゆる物に、様々な形で欲望の矛先は向けられます。
時とともにより大きく、あるいは急に消えたり、忘れたり。そんなときもありましょうが、それ自体は際限なく湧くものでありましょう。でももし、欲望がなくなってしまったら?
「無欲を説き実践するような人々、一部の仏教徒など、欲を捨てているのは確かだが、なぜ生の欲求は捨てようとしないのか」
この疑問は誤っておりました。
欲を除けば穴一つ、底しれぬ恐怖が現れました。本能的欲求はもはや忘れてしまった。食欲性欲、この大なる二つはインスタントに満たされる。鮮やかに力強いそれは存在せず。習慣と言えば聞こえがよいが、惰性、それがふさわしく思います。
今だかつて、欲望は消そうとすれど欲望を欲するなどという気違いがありましたでしょうか。
習慣に依らぬ明確な欲望。恐怖と惰性の生を破壊できるだろうか。死を忘れさせてくれるほどの欲望。生を忘れるほどの。
袂ブレイカー・のぶ
「俺はドアノブ、鎌の化身」
今日も着物の袖の広がり、袂を破いてやるのだ。
そらきたあいつ着物だぞ。こんな狭い廊下で私とすれ違うと…
スゥ…!袂がノブへ近づく…そこだ!袖の開口部が引っかかった。グッ、キキキシシ…糸が軋み伸びる。しかし人間の反応速度ではここで気がつけない。チッ…糸の一繊維がついに荷重に耐えかね、はぜた。その瞬間。
チチチチブッブバババボッ!
布とともに糸がすべてちぎれホコリが飛び散る。五十年、あるいはそれ以上の時を乗り越えたその着物の袂はついに崩壊した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛!」人はいかりとも悲しみとも、あるいは両方か、唸りをあげた。ついにまたノブにしてやられたのだ。その怒りにやり場はない。ノブを殴ろうものなら扉は使い物にならなくなってしまう。腹にまた溜まってゆくのだ。人にできるのは、悪態をつき繕うのみ。
袂を刈り取る形をしている。それがドアノブ、鎌の化身。
寿命と命
樹木希林さんは「明日死ぬなら何を食べたい」という質問に対し、「何も食べない。食べることは他の命をもらうことであり、明日死ぬなら何者も殺さず死ぬ」というようなことを言っていたそうな。
なるほどそうだ。確かに。ところであさって死ぬなら、どうする?一週間後なら?三ヶ月で死ぬとなったら?つまり、われわれはいつか死ぬわけで。急に死んだりゆっくり死んだり差はあるけれど。いつもは食事の時死を、寿命を意識しない。もし寿命がわかって「何ヶ月後に死にます。何日前から断食すれば寿命と同時に栄養失調で死ねます」とわかればそれはすばらしい。寿命を最小の殺生で全うできるのだから。樹木希林さんの答えは問題提起だ。
「私はこの牛を殺した命で明日どう生きるのか」
よくわからんパン食べてゲームしてボーッとして初音ミクの声は可愛いなと思いながらこんな文章を書くんだ。僕は、死ぬのが怖いから生きてる。きっと苦しいんだろうって思うから。ごめんね。この気持も朝には忘れるけど。