俺か、俺じゃないか
自分の頭は思考でいっぱいだ。いちいちいつまでも考えるし、それでいて自分勝手。
一方で他者と話すと大体、こいつら頭空っぽだなと思う。何も考えないし、自分勝手だ。
でも、こいつら幸せそうだなと思いながら、自分の頭を拳で殴り続ける。アホになれ、アホになれ、と。いくら繰り返しても、阿呆にはなれていない。むしろ頭は固くなっていくようだ。
ああ、阿呆になりたい。
雨守り
雨の日に、車のトランクを開いて荷台に腰掛ける。
外に開かれたまま、屋根に当たる雨音を感じる。
なにか、守られているように思える。
タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ
サァーーーーーーーーーー
ピチッ……ピチャン……チャピッ……
焦点を変えれば無数の雨の音がする。
どれが雨の音だろうか。
どれも雨の音だろうか。
雨どいを伝えば川、流れ落ちれば滝になって、砂利の滝壺に穴を空けてゆく。
今日のお出掛けは中止、いつまでもこうしていたいから。
革命家
勉強が、目標や理想を持って行う試行錯誤であるならば、僕は勉強が大好きだし、生きがいだ。
日々勉強して、僕は革命を起こすのだ。勉強で得たたっぷりの知見からガツンと現実に体当たりする。そして揺り戻される。革命の最先端にいた人間が先鋭化し、ありえぬと存在が潰されるように。それでも、少しは前と変わるのだ。革命もまた試行錯誤である。変わったところ、変えられなかったところ、変わらなかったところ。この数々の試行錯誤がどうなるのか?ああ、暇つぶしにはなるな。
寝る前のルーティンワーク
だめみたいだ。毎夜毎夜死ぬことしか考えられない。意志の力で死ねればいいのに。なぜ自分で自分の生命活動を停止できないんだろう。強く思ったら、心臓が止まったり細胞分裂が終わったり痛みが消えたりすればいいのに。
何もやらずに腐ってゆこうとするのすら難しい。何もやらないというのは難しい。変にやる気を起こしたり、快楽や感情を求めて動いてしまう。あぁでも音楽聞いてトリップするんはやめられねえぜぇ、やめないぜぇ。
自己放棄で死んだ人間を見て、生きねばと思うか?死のうと思うだろうね、今と変わらない。何も変わらない。吐き気を催すだけ無駄。死んだらどうなるのか考えれば生きるか死ぬかどうか自明。でも僕は死ねない。苦しみは嫌だし、なんだか未練があるような。未練。何がつかえているのだろうか。死ねば無、そうとも割り切れない。理性の敗北だ。いや、未だかつて己の行動において理性の本能を上回ることがあっただろうか...いや、割とあったわ。あったわー.........。割り切れない。言い切れない。曖昧。嫌だねぇ、本当に嫌だねぇ。この国が嫌なら国外に行けばいい。この世が嫌なら、あの世に行くしかない。いや大差、ある。あぁ割り切れない。ウジウジとのぼぉーぅと日暮。あぁ不幸だ不幸だ。あぁ苦痛でしかない。
「割り切れないなら、ずっとそのままですよ」
もっともだぁ。もっともなんだ。
「死にたいなら、今すぐ死ねば良いじゃないか」
全く持ってそのとおりなんです。人を不快にするこの優柔不断は黙ってすぐ失せればいい。そうすればミステリアスの極み、泣く気も失せるってもんだ。
でも、割り切れない。割り切れない、割り切れない。
汚醜
仮に君、私が何よりも醜く、汚らしく、悪臭を発するものであったなら、全ては美しく思えるだろうか。最底辺と体の底から思えたら、絶対的にそう思えたら、救いはあるかもしれないね。
仮定の話だ。そう気にしてはいけない。
消えてしまうもののために
美しいものを見ると心が洗われる。ただただ美しいものを眺め、情動を楽しむ。強く求めてはいけない。注目は全体を遠ざけ、美しさへの執着は空の心を生む。見てはいけない。
ちっぽけな自分は存在し、美しく思え、目が離せないでいる。未開な何か、透き通るものが体を満たす。何も、はっきりしたもの、大きな転換などない。だが、それでよいのだ。このひとときの感傷のために、生きる。やがて失せる自分という存在、そのために。
そんなわけがあるか。腹は満たされない…